門の中にいるより外に出たほうが、通り行くブルンジ人や超スピードを出して走っていく援助機関の車(のロゴ)などを観察できておもしろいので、最近は外で車を待つことが多くなった。土曜の今朝、いつもより遅めに門から出て、ピックアップしてくれるフランス人の同僚を待っていたら、日中の警備員のお兄さんが出てきて、話し相手になってくれた。
彼はコンゴ人で、6年前にコンゴから難民として、3日間歩いてブルンジに入ってきたそうだ。家族と一緒に、100人くらいのグループで歩いたらしい。しばらく難民キャンプで暮らした後、彼は家族とブジュンブラ市街に引越し、今は警備員として日中働きながら毎晩7時から10時まで、大学でコミュニティ開発の勉強をしているそうだ。大学を卒業するのに5年間、年間の授業料はUS$200だと言っていた(私立大は$200、国立だと$100だとか)。将来ブルンジで仕事を見つけるのは、コンゴ人にとっては難しいので、コンゴに戻って仕事がしたいと言っていた。後から、警備員の平均月給は、週7日間働いてUS$35くらいだと知った。 1998年から2003年のコンゴ内戦で難民となった200万の人々には、200万のストーリーがある。